苦行の末に得たものは


生まれて間もなく母を失ったシッダルタ王子は、長じて、初めて王城の四門を出て、生老病死の苦悩を知り、出家修行へのあこがれを抱きます。やがて決意を固めた王子は、ヒンズー教のバラモン僧の中に入って苦行を重ねます。たとえば断食断水を始め、いばらの上に座ったり、片足で立ち続けたり、長く水中に浸かっていたり、掌のうえに油を溜めて芯に火をつけ、じっと熱さを我慢したり、といった苦行です。しかし、太子は数年間の苦行を経ても満足が得られず、ついに苦行を捨てました。すると、父王の命により太子と共に行動していた五人の家来たちは、太子が堕落したものと思い、太子に従わなくなりました。やせ衰えた太子は河の水で身を清め、村の娘が供養してくれた乳粥を飲み、ピッバーラの樹(後に菩提樹と呼ばれる)の下に草を敷いて「自分はここで本当の悟りを開くまでは動かない」と誓われて瞑想に入られました。ところがそれを知った悪魔が修行の邪魔をしようと、ある時は美しい娘の姿となって媚態を示し、ある時は妻子の姿を装って城に帰るよう懇請し、かと思うと一転、悪魔の軍勢として挑みかかったり、あるいは雨や風や雷となって襲いかかりました。しかし、太子は微動だにもせず、ひたすら坐禅を続けられたのです。そしてついに十二月八日の朝、明けの明星が輝くころ、シッダルタ王子は大いなる悟りを聞かれました。ここにおいて太子は初めて「めざめたひと」「真理を悟った人」としての「仏陀」になられたわけです。「釈尊」というのは、釈迦族の尊者という意味ですが、その他、世尊、如来、仏といった呼び方をします。いずれも、偉大な悟りを開かれたことへの尊称です。この悟りを開かれた十二月八日は、仏教徒にとっては大事な日となっていて、寺院によっては成道会という法要が行われます。




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